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Diary

Barや日常で気になったことを気ままに書いています。



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2016年5月30日(月)
氷の仕込み

お店には、製氷機がありません。
いつも、氷屋さんから仕入れた氷を自分で割っています。

この仕込みがなかなか大変なのですが、いろいろ試行錯誤して、だいぶ効率よく仕込めるようになりました。
ということで、この氷の仕込みについて書きます。

現在、氷屋さんに店のカギを預けて、午前中に配達をしてもらい、冷凍庫に納品してもらっています。
その氷をそのまま割るのではないのです。

まずは、氷をお湯で表面を洗います。ただ、冷凍庫に入っていた氷をいきなり洗おうとすると、氷とお湯の温度差があるため、あちこちヒビが入ってしまいます。だから、氷を洗う前に冷凍庫から出して、常温で1時間くらい放置して、氷を緩めます。

緩んだ氷を洗い、包丁で6等分します。これは、氷1貫を一気に割ろうとすると、大体30分くらいかかり、割っている間に溶け出して、割った氷が冷凍庫の中で引っ付いてしまうので、6等分した氷を少しずつ割るようにしているからです。
そして、6等分した氷は冷凍庫で数時間、もう一度締め直します。氷は、締まって硬い状態のほうが割りやすいのです。

締まった氷は、一塊ずつ使いやすい大きさにアイスピックで割っていきます。大体12等分を目安にしています。だから、1貫の氷で大体72個に分ける感じです。少し大きめの氷にしておいて、あとは使う時に、小さいものが必要なときはその場で細かくするようにしています。

最近、アイスピックで氷を割っていて思うのが、焦ったり力を入れて割ると、きれいに割れてくれません。ちょっと力を抜いてポイントにちゃんとアイスピックを入れてあげるときれいに割れてくれて、時間もかからずに仕込むことが出来ます。
これって、ほかの仕事にも共通することだなと思います。
全力で頑張るより、少し力を抜いているほうが、うまくいく感じです。

その氷をもう一度締めた状態が仕事で使う氷です。

緩めたり、締めたり、結構時間がかかってしまいますが、バーにとっては、氷はとても大事です。
だから、心を込めて、氷を仕込むようにしています。

2016年5月21日(土)
湘南マラソン申し込み

今年も、湘南マラソンをフルで申し込みしました。

3月の横浜マラソンくらいから、なかなかジョギングする時間が取れていないので、完走できるかどうか不安ですが、なんとか頑張って完走したいと思います。

いつもなら、申し込み受付の8時にはお客様がいない時間なのですが、今年は何組かお客様がいらっしゃる中、皆様にご理解いただき、申し込むことが出来ました。
少しずつですが、最近お客様が増えてきていると実感しました。

湘南マラソンは12月4日(日)。

まだまだ時間はありますが、少しでも走る時間を作って、練習していこうと思います。

2016年5月10日(火)
海外旅行計画(ハワイ パート3)

今回の旅行は、これを絶対やるんだと決めて日程を決めたのではないです。
この辺りは、季節的に快適な季節だから、ゆっくりリラックスできるのではないかと決めた日程でした。

だから、やりたいことを後からピックアップして、日程に当てはめるようにしているのですが、今のところこの期間にできないことが出てきました。
1つは、ハワイ島のマウナケア。サンライズツアーに参加するのであれば、ハワイ島で宿を取って、ゆっくり滞在しながら、ツアーに参加したほうがいいということが分かり、今回は断念しました。
もう1つは、ハワイで焼酎を作っているところへの見学。こちらは、私が行く時期は長期休み中で、見学できないようです。

ちょっと残念ですが、またの機会にこの2つはリベンジしたいなと思います。

ということで、今回の旅行は、オアフ島でのんびり過ごす計画になります。
具体的な旅行の計画は、まだまだ進んでいませんが、とにかく、ゆっくりリフレッシュできる旅行にしていきたいと思います。
そして、帰ってきたときにパワーアップできるような旅行にしていきたいと思います。

2016年5月2日(月)
師匠との出会い

今、こうやってお店をやっていけているのも、師匠との出会いがあったからだと思います。

私の師匠は、横浜日吉にある「BAR画亭瑠屋」の長谷川さん。
今のお店のスタイルは、修行させて頂いた画亭瑠屋のスタイルです。
もちろん、今は少しずつ私の色に変えていっていますが、基本はすべてです。

もし師匠に出会わなければ、このお店のスタイルもそうですが、お店を続けることも、もしかして独立してお店を持つこともなかったかもしれません。

そこで、少し師匠との出会いについて書きたいと思います。

私は、当時日吉の不動産屋で働いていたのですが、将来を考えた時に、このまま雇われて会社員のままでいいのかという不安から、独立して、自分でできる仕事を考えていました。
当時は、すでに30歳を過ぎていたので、結構いろいろな面で焦っていたのかもしれません。

目標はバーを経営すること。ここだけは、明確でした。そのためのアプローチをどうすればいいのかなんて、全然わからなかったので、はじめはバーテンダースクールへ行き、そのあとで働けるバーを探し始めました。

たまたまその当時住んでいた日吉にあった画亭瑠屋には、電話でスタッフの募集をしていないかと聞いてみたのですが、「今は人が足りていますが、一度お店に来ませんか」と言われ、すぐにお店に行ったような記憶があります。
そして、いろいろお話を伺い、ちょうど長谷川さんがカクテルコンペに出場するので、そういうのも時間があれば、観に来ればいいですよと言われ、そのコンペも観戦しに行きました。
そんなことをしているうちに、約1か月後に、長谷川さんから連絡があり、「スタッフが一人辞めるので、まだお店が決まってい無いようだったら、働きませんか」と声をかけて頂いたのが始まりでした。

今思えば、昼間も働きながら、夜も働くのには、日吉の町でないと無理だったと思います。そして、その町に修行するバーが在ったのは、偶然なのか。
また、私が探していた時に、ちょうど人が辞めたというタイミング。すべての流れが、仕組まれていたのではないかと思うような感じは、本当に不思議です。
これが「縁」なのかなと思います。

ここが、本当にスタートでした。

7月には、師匠と山崎蒸留所へ行くです。年に何回かしかお会いしませんが、師匠に出会えたことが、私の人生の転機かなと今思います。

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